WallStreet(1987) その2
さて、OliverStoneのWallStreet(1987) 。この物語はオープニングからの20分だけではない。この部分はいわゆるツカミ…。
バドはゲッコーの‘インサイダー’になり美女も億ションも手にした。彼は、高級シャンペンを片手に高層マンションのベランダに立って夜空に独り言つ。「俺は誰なんだ?」。
協力者である弁護士の友達が手を引きそうになるのを押しとどめる彼の顔は、もはやバドの顔ではなく、どこででも見かけるあの手の顔。
そう、2008年リーマンCEOファルドの顔、また03年イラク攻撃を宣言したブッシュの顔。耳が細くとんがり、目が異様に細く奥の方で哀しく光っているような…。そのような人間は場所と時代を問わず現れる。
最近ではボーイングCEOミュイレンバーグ。ミュイレンバーグは、十数年前ファルドのやったことを航空機の世界に持ち込んだ。どちらも経理・管理畑の出身で現場を知らない。組織が大きくなると、この手の人間が幅を利かせる。 その顔は鉄面皮で心はミイラ。
バドが自分の父親の勤めるブルースター航空を買収しようとゲッコーに持ちかける。初めは渋るゲッコーを彼は説得し、買収計画が進む。
あるとき、ゲッコーがブルースターを再建ではなく解体して売ってしまおうとしていることにバドは気づく。父親は病に倒れた。それを見舞った彼は逆襲に転じる。
その辺りからバドは自分の感情を取り戻す。ゲッコーの宿敵サー・ワイルドマンに助けを求め、ゲッコーをまんまと嵌めることに成功するが…。
気持ち悪いぞ
「音楽の力」は一番嫌いな言葉だと、ミュージシャンの坂本龍一は言う。「音楽にメッセージを込めて」とか、「音楽の社会的・政治的利用」は嫌いなのだと…。スポーツでも「勇気を与えたい」とかは恥ずべきこと。少年たちもそれを口にするが、大人のまねをしているのだろう、と…。
感動するかしないかは個人の問題で、やる側がその力を及ぼそうとか思うのはおこがましい。音楽家が聴く人を癒やしてやろうなどと考えたら、こんな恥ずかしいことはないと…。(2020.2/2朝日新聞)より。
絵本作家の五味太郎が「感動が少ない人たちに“感動好き”が多い」と書くが、それを受けて哲学者の鷲田清一は「その感動は類型的で代わり映えがしない。感動とは本来前もって設定できず、不意を襲いしばらくワケが分からないもの。戸惑いではなく、安心させる安っぽい‘感動’の輪を広げようとするのは気持ち悪い。」と…。
(折々のことば 22/1/29)より。
冬季オリンピック開催中だが、「感動を与える」との言葉は何度発せられた?。
また、テレビとかで地域興しに関わる若者が「地域への恩返し」とか言うのを見ていると「ホンマかいな」と思う。
そういう気持ちもまるでウソではなかろうが、普通は気恥ずかしくてあまり口にしないダロウ。資本主義のコマーシャリズムに毒されている、そう言えば言い過ぎだろうか?。
それはタテマエでしかなく、ホンネはこれを利用して稼ごうとか、賞賛を得ようとかじゃないかと…。そんなヤカラには「イイネ」だけ言ってさよならしたい。
「自分のできること、やりたいことをアレコレやっていたら、ここにたどり着いた」と言う方がホンネらしくて信頼できそうだ。
個人的には「稼ぎたいのと感心してもらいたいのを両立させようとしたら、これだった」と言う人の方が好きだ。
ウォール街 1987年
OliverStoneのWallStreet(1987)。面白いのはバドがゲッコーと会うことができて、会社に帰って彼から℡を貰ったときまで。つまりオープニングからの20分ほど。
途方も無い大富豪や権威とか、それに憧れてアクセクしているうちが実は人生の光輝ける時。そのレールに乗った辺りから悪魔が宿り、人生の無垢で真っ白な心に暗雲が立ちこめ黒いシミであちこち汚れ、心から笑えなくなる。
大切なモノは真っ白な自分の無垢な心なんだったと後悔することに…。
先日、「息子が某有名大企業のある部門の出世コースに乗っている」ことを同僚が喜々として語ったのだが、僕は「あーあ」と心の内でため息。羨ましいとかではなく、「大変だなぁ」と…。
彼は最近この職場に僕と同様アルバイトとしてやってきたが、案の定ある人間からパワハラに近い扱いをされて困っている。僕も一年前その洗礼を受けたが、キレてやったらそれが止んだ。
それであなたもやればと言ってみたが、息子の会社で自分も素行調査され((文書で詳しく報告)ていて、父親が警察沙汰になったら困ると息子から言われたと…。
キレたくらいで警察沙汰になることはないのだから、「‘なんでお前の出世のために俺が不当な扱いされなあかんねん’と言ってみたら…」と言えば「とてもとても…」と。
実は、幸せはそんな処とは正反対にあるのだが、そう言っても「コイツ、嫉妬してるんや」としか相手は思えないだろうから、面倒くさい。
この頃というか、フツー昔から人生の夢はお金や権威ラシイ。
今はこの国では、どんな状況でも飢えることなく生活できるのだから、自分の無垢な心を大切にするような生き方が最も幸福につながる、そんなことがきれい事でなく、本気で信じられてもいい。
NHK土曜ドラマ 「ロング・グッドバイ」 (レイモンド・チャンドラー原作 2014年) 全5話
舞台は戦後間もない東京。私立探偵増沢磐二(浅野忠信)は、行きずりの原田保(綾野剛)といつしかバーでおごり合う仲となるが、ある夜「人を殺した」と言う原田を、台湾行きの船が停泊している横浜港まで送る。
果たして、原田保の妻で女優の原田志津香(太田莉菜)が遺体で発見された。
ドラマの冒頭、彼女のやりたい放題のワガママ・傲慢振りはエキセントリックだが、嫌みのない素直な様子が痛々しく切ない。死後公開された主演映画はB級怪奇映画の魅力満載。
早々に逝ってしまった彼女は、このドラマではある意味さわやかだったかもしれない。
増沢は、原田保の逃走幇助の罪に問われた。彼は岸田警部補(遠藤憲一)の手荒な尋問にも屈せず彼の無実を信じる。
殺された女優の父親・原田平蔵(柄本明)は、獄中の増沢に何故か弁護士(吉田鋼太郎)を寄こすが、増沢はその申し出を拒否してしまう。
弁護士は原田平蔵の秘書に経緯を報告する。秘書は、なぜ彼は原田にそれほど義理立てするのかと疑問に思い、弁護士は「仁義」というヤツではないか、と言う。
横でやり取りを聴いていた原田の娘・高村世志乃(冨永愛)は思わず笑ってしまった。
バー「VICTORS」にいる増沢を世志乃が訪ねる。
世志乃「なぜ、あなたは原田保が無実だと信じるの?」
磐二「彼は人を殺せるような人間じゃない。それに、誠実な男だからですよ。」
世志乃「私はイヤな女と一緒にいる時、自分がイヤになるわ。あなたは彼といると、自分が誠実でいられたのね。」
物語は、戦後の日本ではもはや見られなくなった「誠実さ」に頑なにこだわり続ける男、増沢盤二を軸に展開する。
「 The Rolling Stones」1964年と日本のビッグネイム
ストーンズのデビューアルバム。ほとんどがR&B、ブルースのカバー。日本で人気の「テル・ミー」は本アルバム唯一のジャガー=リチャード共作。英国オリジナル盤では「Route66」がA面トップ。
彼らのサウンドのルーツが窺えて楽しいが、57年後の現在から俯瞰すると…。
「I Just Want to Make Love to You」
53年マディ・ウォーターズが発表した曲。彼らのバンド名はマディの「Rollin'Stone」からだろうし、彼らを一躍スターダムに乗せた曲「Satisfaction」はマディの「I Can't Be Satisfied」からヒントを得たと言われている。
マディはブルースをゆったりかつ朗々と歌い上げ、シタール風?のギターソロも聴かせどころ。
ストーンズのは、ミックの雄叫びのようなボーカルでハードなロックンロールになっている。
「Carol」
チャック・ベリーの曲で、軽快なロックンロールナンバー。
「Route66」
スタンダードナンバーをチャック・ベリーのバージョン風でカバー。
ところで、矢沢永吉の初期のバンド名は「キャロル」。オールバックに革ジャンは、当時の日本における不良のトレードマークで、彼の70年代のヒット曲「トラベリンバス」は、この曲からヒントを得たものだろう。
彼はビートルズが自分の原点と言うが、スタイルはストーンズを意識していたようだ。
現在の矢沢がどうかは知らないが、70過ぎても現役で(チャーリー・ワッツの死で怪しくなったが)スリムな体のまま、ステージアクションも昔のままで第一線…なんて、そうあるものじゃない。
ミック・ジャガーは、ロンドン大学の経済学部中退のキャリアと関係あるのか、いつもショービジネスでトップにいることを考え続けていて、叩き上げの創業経営者の孤独のようなものを抱えていた。
その意味では矢沢永吉と重なるように思う。
キースは80年前後からだろうか、ステージでミックと肩を組むことはなかったし、例の一つのマイクで二人が歌うこともなくなって、メンバー紹介でミックを飛ばしたり、ミックと二人のインタビューを避けたりと…。
キースはミックを毛嫌いしていたはずだが、ストーンズ愛がそれを上回ったようだ。
ストーンズのステージでは、2000年代に入っても相変わらず60年代のヒット曲頼みの感は否めない。それが彼らの原点ではあるのだが、そこから進化しなかったことの証しでもある。
「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」や「ブラウン・シュガー」を超える楽曲を探すのが難しい。
前にも触れたが「ブラック・アンド・ブルー」で進化の萌芽を見たが、批判を受けすぐヒット・バンドの方へ回帰してしまった。
忌野清志郎を日本のミック・ジャガーと呼ぶ人もいるが、校舎の屋上でタバコを吸っていても、彼の曲は何か精神の崇高さがあって、彼はそれをずっと持ち続けていた。
しかし、尾崎豊がそうだったように、崇高さというものは、はかない。
08年の「シャイン・ア・ライト」でクリントン一家をメンバーが整列して迎えていたが、長く第一線でやり続けることは何かを捨てることなのだと、図らずもスコセッシはドキュメンタリーで示した。
60年代後半、「Sympathy For The Devil」で「Who killed the Kennedy's?」と歌ったような悪魔的な輝きは、もうない。
「Walking The Dog 」
ルーファス・トーマスのオリジナル。ゴキゲンなロックンロールナンバー。
英国盤では「Route66」で始まり、この曲で締めくくった。彼らのコンセプトがよく伝わる。
「Some Girls 女たち」1978年
このアルバムは米国では最大のヒットとなったようだ。
一説によると、パンク隆盛の折、「ストーンズはダサい」というパンク側の口撃に受けて立った…とあり、2曲を除いて従来のストーンズらしいロックンロールに回帰した、とも…。
それでは、その2曲について。
まず、当時のディスコブームに乗ったダンスミュージックの「Miss You」だが、同年ロッド・スチュワートが同様のディスコ曲「Da Ya Think I'm Sexy?」をヒットさせた。「Miss You」も大ヒットとなったが、僕の好みで言えばロッドの方…。
一方、文化史家のネルソン・ジョージは、ディスコ・ブームに乗って当時のメジャーがダンスミュージックに挑戦したが、その誰もが失敗し、唯一デビッド・ボウイの「Let's Dance」が成功を収めた、…と厳しい。
確かに楽曲の良さは…。
で、残りの一曲、「Beast of Burden」を僕はこよなく愛する。
「ブラック&ブルー」の項で述べたが、「Fool to Cry」や「Monkey Man」と同系列、ミックの自虐的ナンバー。先の2曲に比べアップテンポでリズミカルだが、チャーリー・ワッツのドラミングのリフがシブく、軽くならない。しっかり、ミックの泣きがサビに向かって利いてくる。
キースは「ミック・テイラーとの間にあったリズムとリードのギターの区分が溶け、ロニーと2人でぴったり息を合わせて輝いた良い例」と言っているが、これは二人がアコースティックギターを弾いたライブでのことか…。
ローリング・ストーンズ「ブラック・アンド・ブルー」
このアルバムはストーンズにとっては実験的だったのだろう。様々な種類の曲が混在している。トータルでは成功したとは言えないだろうが、個々の曲に素晴らしいものがいくつかあり、僕はこのアルバムをかなり愛している。発売は1976年。
「ホット・スタッフ(Hot Stuff)」
当時、ディスコサウンドがヒットチャートを賑わしていた。その影響だろう、自らのルーツの黒人音楽・R&Bに回帰したかのよう。アップテンポだが力強く、かつファンキー。アドリブが利いて、ストーンズ流ジャズファンク。
これはストーンズの曲としても演奏としても素晴らしく、彼らのルーツに回帰するとともに、新たなストーンズ・サウンドの可能性を匂わせた。
「メロディ(Melody)」
ビリー・プレストンのピアノが光るナンバー。ジャジーだが、ブラックでファンキー。当世流行の「おしゃれな」感じもある。ビリーとの掛け合いのミックのボーカルも素晴らしい。
「メモリー・モーテル(Memory Motel)」
ストーンズのバラードの中でも最高の一曲。ミックのボーカルに、キースのしゃがれ声が間のあいた掛け合いになっていて、「ここぞ」という感じが素敵❣。
「愚か者の涙(Fool to Cry) 」
ミックでなければ歌えないブルースっぽいバラード。この系統に「レット・イット・ブリード」(1969)の「モンキー・マン」、「メインストリートのならず者」(1972)の「ダイスをころがせ」があり、ミック特有の自虐的ボーカル❤?。彼はこのような曲で私生活を懺悔していたんだろうか?。
このアルバムからアダルトなストーンズが期待されたが、残念ながら、次の「SomeGirls」(1978)では従来の若者向けで、よりポップになってしまった。
「ブラック・アンド・ブルー」が批評家から辛辣な意見も出て問題作とされ、ストーンズは常に「売れる」「受ける」ということに敏感で、彼らの能力の高さと柔軟さもあっての原点回帰…。だからこそチャーリー・ワッツの死まで半世紀に渡ってロック界に君臨し続けたのだろう。